温故知新
漢文って面白い!
- 黒田 秀教
- KURODA Hidenori
- 教育学部 准教授(漢文学)
Profile
京都府生まれ。2001年、大阪大学文学部人文学科卒業。2003年、大阪大学大学院文学研究科文化形態論専攻(中国哲学修士)修了。2006年、大阪大学大学院文学研究科文化形態論専攻(中国哲学博士)修了。2006年、(台湾)明道大学応用日語学系助理教授。2020年、明石工業高等専門学校人文科学系(国語)助教。2022年から現職。
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近代化の根底にあった“漢文”
日本は、江戸から明治へと時代が移った際、欧米列強の植民地になることなく、国際社会の仲間入りを果たした稀有な歴史を持っています。私はその基盤の一つが、江戸時代に町人を含む幅広い層に学問が普及していたことだったと考えています。当時、学問と言えば中国から渡来した朱子学の政治思想や道徳ですが、その学びのツールになったのが漢文。明治維新の志士らも使っていた漢文……。面白くない受験科目、といったイメージが変わってきませんか?
私は、江戸時代中頃、大阪に設立された半官半民の学校「懐徳堂」の残された文献(漢文で記されています)などから、江戸時代のさまざまな思想が明治以降の近代化にどのような影響を与えたかをテーマに研究を行っています。朱子学はそもそも国を治めるための思想なので、幕府のお墨付きを得て研究されていたわけです。徳のある為政者が良い政治を行えば国は治まる、というのが基本の考えですが、当時の学者たちは徐々に民衆からの視点を意識するようになりました。民衆一人ひとりは、どんな自覚をもって、どう生きるべきなのか。為政者にこうしろああしろと指示してもらうのではなく、主体的に社会の一員としてふるまわなくてはならないといった政治思想も含んでいきます。中国発の思想が日本風に変化していた。そのことが、漢文の素養の普及を背景に、近代化に影響を与えたようです。
異文化理解のツール 現代にも
一口に漢文といってもさまざまなスタイルがあります。日本で江戸時代中期ぐらいまで盛んだった「候文(そうろうぶん)」というのは、漢字だけで表記するのではなくかな混じりです。また、後期には、日本人同士のコミュニケーションツールとして、中国には存在しない漢文表記が出てくるなど、実に多様なところも面白いですね。
一方、漢文は海外のものなので、国語で習うけれど日本を外から見るツールでもあります。現代の日本で、異文化を尊重し国際社会の中でどう生きるか、日本人とはなんなのかといった理解の足がかりになると信じています。学生らには、将来子どもたちにその魅力を語ってもらえるよう漢文を学ぶ面白さを伝えていきたいですね。
旅や本で中近世のヨーロッパ文化に触れることが好きです